福永洋一(JRA)

初騎乗 1968年3月2日 シュクホウ(3着)
初勝利 1968年3月17日 シュクホウ
所属厩舎:武田文吾(京都 栗東)1968年 - 1979年

通算勝利 983勝

重賞競走49勝(うちGI級競走9勝)

 

1968年に中央競馬で騎手デビュー。3年目の1970年に初の全国リーディングジョッキー(年間最多勝利騎手)獲得以来、9年連続でその地位を保ち、従来の常識からは大きくかけ離れた数々の騎乗もあり、「天才」と称された。しかし1979年3月4日、毎日杯の騎乗中に落馬。この時に重度の脳挫傷を負い、騎手生命を絶たれた。1981年に免許失効の形で騎手を引退。通算成績5086戦983勝。以後はリハビリ生活を送り、稀にその様子がマスメディアで報じられる。2004年、騎手時代の功績を認められ、騎手顕彰者に選出、中央競馬の殿堂入りを果たした。

 

武邦彦

「乗り役として必要な要素を何もかも備えていた」

「瞬間的な判断力」

 調教師でさえ想像がつかないんだ」(『Number PLUS』p.70)
「言葉では言いにくい何かを持っていた。ともかく、よう勝ったなぁ、ということが思い出されますな・」

 

伊藤正徳

「前が開いたから行くんじゃない。洋一の場合は(開くところを予期して)行ったところ、行ったところが開いていくんだ」

「一番凄いと思った部分に、スタミナ、馬を追う技術の持続性を挙げ、ほとんど無酸素運動の中で、フォームも乱さず、馬の能力を100%引き出すためには、筋肉のパワー、腱の柔軟性といった身体的な能力が絶対に欠かせない。洋一はそうした身体能力、スタミナが人一倍優れていた」

 

岡部幸雄

「彼にしか考え出せないような選択肢を見つけ出していた」

「スポーツの類は苦手であったとされ、養成所時代は運動神経まるでなしと同期生に笑われていた。一方それにも関わらず、馬に乗れば人間が変わる。こと競馬に関して言えば、私などが十回やってようやく身に付けられるようなことを、一回やって習得できるような部分は確かにあったのだろう。それが天性の素質というものだ」

 

的場均

「その騎乗ぶりの素晴らしさは、言葉や理屈で説明できるようなものではなかった。馬に当たりの柔らかい騎乗スタイルだとか、仕掛けの巧さだとか、そういったことはあくまで彼を語るための前提でしかなく、そこから先にこそ、福永さんの凄さがあった」

 

田原成貴

「騎乗理論を説明した上で、優れた騎手というのはこうだ、岡部(幸雄)さんや(武)豊はこれがこうできるから優れているんだっていうことは言えるんです。福永さんのことも説明できますよ。でも、説明できないレベルのものを一つ持っていた。説明しろと言われても、説明できないものを・。それがあの人の、凄いところなんです」

 

境勝太郎

「ぼくが必ず名騎手として挙げるのは、福永洋一です。福永は、1000mのレースでも、(ペースが)早いと思えば控える。3000mのレースでも、遅いと思えば行く。それがちゃんとできたジョッキーでした」

 

柴田政人

「最終コーナーまでいかに馬に楽をさせるか、そこからいかに馬を最後まで追い切るかを洋一はね、この二つが完璧にできたんです。努力もしたんだろうが、いわばもう生まれつきでできたんだわ。かないっこないよね」

 

伊藤雄二

「背骨に鋼が埋め込まれているのではというほどの強靱な背筋力。あれは洋一だけの類い希な安定感だった。軸がしっかりしているから、少々のことでは体勢が崩れない。鞍はまりの良さは古今無双と言えるんじゃないかな」

「洋一を乗せると、能力的に足りないと諦めていた馬でも走ってしまった。しかもレースの内容が他の騎手を乗せていたときとは全然違う。それまでは追走に四苦八苦していた馬をスイスイと逃げに導いてしまったり、逆に先行して一息だった馬を思い切った後方待機策から、直線一気を決めてみたり。(中略)指示とは違う競馬をして、しかも結果を出してしまうものだから文句は言えない。どう乗ってくるのか、ゲートが開くまで調教師でさえ想像がつかないんだ」

「武豊の凄さを、『ペースを体感する能力は世界でも超トップ。精密なスピードメーターを搭載したジョッキーだから、ポジショニングにミスがない。何十年に一人の名手です』と評価しながらも、日本競馬界最高の騎手は福永洋一と断言してしまう」

 

松田博資

「洋一は、それはそれは努力の天才でした。自分の乗る馬、他人の乗る馬のことまで観察し把握し、新聞に書かれた記事のことまで完璧に頭に入れる男でした。学校の勉強とかはそうでもなかったようだけど、こと馬に関しては天性のものプラス努力で、コンピューターのような切れるアタマを持っていました」

 

武田博

「勉強に裏打ちされた記憶力がその騎乗の秘訣の一端であるとしている。情報収集を欠かさなかったこともあり、通常は癖などが分からないために、やや敬遠される初騎乗馬も嫌うことはなく、素早くその馬の癖を掴み、最適なペースを見出してレースを運んだ」

 

内藤繁春

「洋一は調教での騎乗が上手くなかったという思い出を語る中で、怒っても、ニターと笑うだけだった。恐らくあの笑顔が『敵を作らない』と言われた人徳だろう。彼は笑顔まで一流だったのだ」

 

安田伊佐夫

「理由は分からないが、ほかの人間が乗っても全く良いところがなかったような馬でも、洋一が乗ると不思議に走った。こんな馬でも、と思ったのが勝ってしまうんだから」