千島武司(北海道)

2804戦679勝、勝率24.2%。

 

道営ホッカイドウ競馬における伝説のNo.1ジョッキー。
1969年にデビューし、デビュー年は190戦18勝。4年目となる'72年に415戦96勝でリーディング初獲得。

その後も'73・'74・'76・'77年と計5回のリーディングを獲得。5度のリーディングは2005年に6度目のリーディングを獲得した五十嵐冬樹に抜かれるまで史上1位の記録だった。

特に'76年の130勝(勝率30.4%)は史上1位。(2007年に五十嵐冬樹に抜かれる)
その活躍は北海道の外でも見られ、'76年には大井競馬場での全日本アラブ大賞典をミスダイリンでレコード勝ち。

大井アラ系2600mのレコード2分46秒3は'96年度に大井がアラブを廃止するまで塗り替えられることはなかった。
1977年12月16日、若駒の調教中に馬に蹴られ脳挫傷で他界。

9年間でリーディング5回にしても、安藤勝己の地方通算勝率23.5%を上回る勝率にしても、相当な天才だったことが窺い知れる。

25歳という若さでの死が惜しまれる。

 

栗山求のブログより

久しぶりに『週刊Gallop』を買ってみたところ、「ジョッキーの血」という連載がありました。作者の千島俊司さんは、1970年代に道営競馬の天才ジョッキーとして名を馳せた故千島武司さんのご子息。

千島俊司さんは以前、父武司さんを題材とした作品で「Gallopエッセー大賞」を受賞されました。そのテーマをさらに深く掘り下げた作品のようです。

故千島武司さんは、道営競馬で年間130勝の新記録(当時)を樹立するなど、72年から77年までの6年間に5回リーディングジョッキーに輝きました。ミスダイリンとのコンビで大井競馬場の全日本アラブ大賞典をレコード勝ちした記録もあります。77年の暮れ、1歳馬の馴致調教中に馬に蹴られるアクシデントにより死去。25歳の若さでした。

7年前に『競馬最強の法則』で「埋もれた地方の天才たち」という文章を書いたとき、故千島武司さんについて触れたことがありました。ただ、当時の資料から再構成したものだったので、通り一遍の内容でしかありません。

千島俊司さんの作品は、まさに当事者の生々しい記録なので興味が尽きません。70~80年代の道営競馬の空気がありありと浮かんできます。連載11回目の今回は、最近読んだ競馬に関する文章のなかで群を抜いて素晴らしいと思いました。この続きを読むために来週も『週刊Gallop』を買うでしょう。