2010年の最優秀2歳馬怪物フランケル(Frankel)と肩を並べていたドリームアヘッド(Dream Ahead)が華々しく返り咲き、ヘイリー・ターナー(Hayley Turner)騎手にジュライカップ(G1 1200m 3歳以上)の優勝という大きな勝利をもたらした。
デヴィッド・シムコック(David Simcock)調教師が管理するドリームアヘッド(父:ディクタット)は6月にシーズン初戦となる1600mのセントジェームズパレスS(G1)で5着となっていたが、ジュライカップでは冷静なターナー騎手の騎乗でベイティッドブレス(Bated Breath 2着)とヒッチェンズ(Hitchens 3着)を打ち負かし、決勝線に飛び込んだ。
シムコック厩舎におけるドリームアヘッドにとって3番手の騎手であるターナー騎手は、次のように語った。「私はこの馬に騎乗したことはありませんでしたので、この馬に大きく貢献しているわけではありません」。
「発走後、スティーヴ・ドゥロウン(Steve Drowne)騎手が騎乗していたベイティッドブレスに寄られてわずかに不利を受けましたが、上手く自分の進路を進める馬に乗っているときにはトラブルを回避することができるものです」。
「私はジュライカップでの優勝に満足していますし、本当に嬉しいです」
2008年に100勝を挙げたターナー騎手は、アレックス・グリーヴス(Alex Greaves)騎手に続いて英国G1競走を制した2人目の女性騎手となった。なお、グリーヴス騎手は1997年ナンソープS(G1)でヤマラク(Ya Malak)に騎乗し、コースタルブラフ(Coastal Bluff)との同着優勝を果たした。
ターナー騎手は、ドリームアヘッドの主戦騎手であるウィリアム・ビュイック(William Buick)騎手がヨーク競馬場で騎乗し、2番手の騎手であるジェイミー・スペンサー(Jamie Spencer)騎手が米国にいたために、同馬の騎乗を引き受けることになった。しかし、ターナー騎手はドリームアヘッドを手の内に入れる時間はほとんどなかった。
オッズ7-1(8倍)のドリームアヘッドは道中スムーズに走り、2010年にモルニー賞(G1)およびミドルパークS(G1)で優勝した際の能力を思い出させる素晴らしい末脚を見せた。
同馬はその後、2010年10月のデューハーストSでフランケルの5着となり、初めての敗北を味わったが、公式レーティング128でヘンリー・セシル(Henry Cecil)厩舎のフランケルと肩を並べて2010年のシーズンを終えていた。
ニューマーケット競馬場の英2000ギニーは速い馬場であったため出走を断念し、遅めのシーズン初出走は、ロイヤルアスコット開催でフランケルの3/4馬身差の5着で終わった。スランプに陥っていたものの、ドリームアヘッドは依然として優良3歳馬であることを証明した。
シムコック調教師はにこにこ笑いながら次のように語った。「私は興奮したのと同時にホッとしました。この馬には本当に満足しています」。
「ドリームアヘッドが低迷していた自身の評価を高めたことに満足しています。すべては同馬のおかげです」。
「競走の2日前の時点で馬場が良すぎてびっくりしましたが、安全な馬場でしたので、出走を決めました」。
「レースでは脚の運びが素晴らしかったので、この結果は当然です」。
シムコック調教師はターナー騎手に騎乗を依頼したことについて、「ターナー騎手は自信に溢れており、十二分に結果を出せそうでした。彼女は私の管理馬に乗るときは勝率が良かったですし、これまでにドリームアヘッドの馬主であるカリファ・ダスメル(Khalifa Dasmal)氏のために勝利を収めてもいます」と語った。
競走前日の本命馬デレゲーター(Delegator)は5着に敗れ、競走当日の本命馬で豪州スプリンターのスターウィットネス(Star Witness)は現役最後の出走で10着に敗れた。
小山紗知伽(おやまさちか)
17歳
現在騎手課程の2年目
来年4月デビュー予定
左は岩永騎手
宮下瞳騎手が、出産により引退を発表しました。
でも稼ぎの悪いご主人なので、出産後は復帰してくれるでしょう。
下村瑠衣(シモムラルイ)
1993.6.3生(17歳)
北海道谷口常信厩舎所属
青森県出身
目標とする騎手:ジュリー・クローン
心に残る馬:モルフェソングエル
趣味・特技:ドラム
騎手を目指した動機:幼稚園のころから乗馬をはじめ自然に騎手を目指すようになった。
自己PR:いつも前向きで誰とでも明るく話せるところです。
KRAカップマイルのレースと祝勝会の模様です。
レースは内田騎手がメイセイオペラ産駒で見事に優勝しました。
宮下騎手は不利があり、惜しくも6着でした。
楽しそうな宴会風景を見ていると、宮下騎手がなかなか日本に帰ってこない理由が分かるような気がします。
ばんえい競馬の佐藤希世子騎手(35)=札幌市出身=が30日、引退した。帯広競馬場での自身最後のレース出走後に引退セレモニーが行われ、大勢のファンが別れを惜しんだ。
佐藤騎手は2002年1月、史上2人目のばんえい女性騎手としてデビュー。06年5月には、女性で初の100勝を達成した。
この日は多くのファンが見守る中、2レースに出走。最後の第7レースでは、馬が障害で膝を折ると、観客席から「負けるな」と声援が飛んだ。6着でレースを終え、感慨深げに馬の鼻筋をそっとなでながらコースを後にした。
通算成績は2265戦144勝。セレモニーで、関係者やファンから花束を受け取った佐藤騎手は「9年間、応援していただきありがとう」と感謝の言葉を述べていた。娘の最後の勇姿を見届けた父雄一さん(72)と母佳子さん(68)は「よくここまで頑張った。感無量です」と話していた。
岩永騎手が地元で見事な2連勝で、涙の逆転優勝でした。
2009「レディースジョッキーズシリーズ」水沢競馬場、荒尾競馬場、高知競馬場 優勝:山本茜
2008「レディースジョッキーズシリーズ」金沢競馬場、高知競馬場、荒尾競馬場 優勝:別府真衣
2007「レディースジョッキーズシリーズ」水沢競馬場、荒尾競馬場、浦和競馬場 優勝:宮下瞳
2006「レディースジョッキーズシリーズ」荒尾競馬場、高知競馬場、名古屋競馬場 優勝:山本茜
2005「全日本レディース招待競走」荒尾競馬場 優勝:岩永千明
2004「全日本レディース招待競走」荒尾競馬場 優勝:岩永千明
2002~2003「該当レースなし」
2001「駒子賞」新潟競馬場 優勝:佐々木明美
2000「卑弥呼杯」中津競馬場 優勝:牧原由貴子
1999「卑弥呼杯」中津競馬場 優勝:佐々木明美
1998「卑弥呼杯」中津競馬場 優勝:宮岸由香
1997「卑弥呼杯」中津競馬場 優勝:中島広美
1994~1996「該当レースなし」
1989~1993「インターナショナルクイーンジョッキーシリーズ」大井競馬場、金沢競馬場他 優勝:吉岡牧子(3連覇)他
1988「ANJレディースカップ」札幌競馬場
1985~1987「該当レースなし」
1982~1984「国内女性騎手招待競走」水沢競馬場
1981~1984「レディスカップ」水沢競馬場、上山競馬場、新潟競馬場
概要
世界初の女性騎手は1936年に京都競馬倶楽部の騎手免許試験に合格した斉藤澄子である。しかし、競馬関係者が「女性騎手の存在は風紀を乱す」と反対運動を展開した結果、農林省および東京帝国競馬協会が斉藤のレース出場を禁止する通達を出したためレースに騎乗することができず、さらに1937年に発足した日本競馬会が男性であることを騎手の要件とした(当時)ため引退を余儀なくされた。
吉永みち子の小説『繋(つな)がれた夢』の主人公は斉藤がモデルとなっている。
日本国外初の女性騎手は1968年11月にアメリカで騎手免許を取得したペニー・アン・アーリーである(世界でも斉藤に続き2例目)。
しかし男性騎手がストライキを起こすなどして抵抗し、一度もレースに出場することなく引退した。
このように完全なる男尊女卑の社会であったかつての競馬界において異色の存在であった女性騎手は、その誕生から不遇に満ちたものだった。
しかしその後、1960年代後半から起こったウーマンリブの世界的広がりなどの影響から、競馬界に於いても不当な男女差別が問題視されるようになり、以後実際にレースで騎乗し活躍を見せる女性騎手が登場し始める。
最も成功した女性騎手はアメリカのジュリー・クローンである。
クローンは通算3704勝、重賞132勝、1993年のベルモントステークスに優勝するなど一流騎手と呼ぶに相応しい実績をあげ、2000年8月に女性騎手として初めて競馬の殿堂入りを果たし
た。
日本では勝利数の面において、中央競馬よりも地方競馬において女性騎手が活躍している。現在名古屋競馬場所属の宮下瞳が、日本における女性騎手の最多勝利記録を更新中である。なお、2002年に中央競馬の短期騎手免許を取得したニュージーランドのロシェル・ロケットが、中山大障害に優勝。
これが中央競馬初の女性騎手による重賞優勝、かつGI(J・GI)優勝である。
対する日本中央競馬会(JRA)所属の日本人女性騎手については、2010年時点でも目立った活躍は見られない。
これは騎乗技術の優劣という面や、騎乗技術云々よりも「女の力では馬は御せない」という盲目的な古い因習、すなわち男尊女卑の思想が競馬関係者や馬主などに未だ根強く残っていることにも原因があるという見解の分かれる部分もある。
その最たる例として、競馬学校で騎乗技術を含めて最も優秀な成績を修めた卒業生に贈られるアイルランド大使特別賞を受賞しJRA初の女性騎手としてデビューした牧原由貴子(現・増沢由貴子)が、実際の騎乗依頼数、騎乗馬の質においても殆どチャンスを与えられず、他の同期生たちより冷遇されていることが上げられる。彼女たちのデビュー当初は「女性にも道が開けたことで先行する地方競馬のように中央競馬に挑戦する女性騎手が増えるのではないか」という期待もファンの間でささやかれたが、最初のケースが実質的な失敗に終わったことで、現在の中央競馬では女性騎手が活躍できる下地が根付いていない。
日本全国の女性騎手を招待して開催されるシリーズとして、「レディースジョッキーズシリーズ」がある。
これは荒尾競馬場で2004年および2005年に行われた「全日本レディース招待競走」を前身とし、1997年から2000年まで中津競馬場で行われていた「卑弥呼杯」、2001年に新潟競馬場で行われた「駒子賞」を起源とする。
なお、それ以前の女性競馬騎手招待レースには「レディスカップ」(1981年 1984年、水沢競馬場、上山競馬場、新潟競馬場)、「国内女性騎手招待競走」(1982年 1984年、水沢競馬場)、「ANJレディースカップ」(1988年、札幌競馬場)、「インターナショナルクイーンジョッキーシリーズ」(1989年 1993年)などがある。
なお、NARグランプリでは「優秀女性騎手賞」の部門を設置し、その年に最も活躍した女性騎手を表彰している。
女性騎手に対する減量特典がある競馬場女性騎手に対してレース時の斤量を減量する特典を付与する制度を実施している競馬主催者もある。平地競走においては1kg、ばんえい競馬は10kg優遇される。
ただし、重賞競走においては適用されない。
ばんえい競馬
名古屋競馬場
笠松競馬場
福山競馬場
高知競馬場
荒尾競馬場
主な女性騎手
日本の女性騎手
現役(2010年3月現在)
増沢由貴子(旧姓:牧原)(JRA)
佐藤希世子(ばんえい)
竹ケ原茉耶(ばんえい)
笹木美典(北海道)
皆川麻由美(岩手)
平山真希(浦和)
宮下瞳(名古屋)
山本茜(名古屋)
池本徳子(旧姓:大場 佐藤)(福山)
別府真衣(高知)
森井美香(高知)
岩永千明(荒尾)
引退
斉藤澄子(京都競馬倶楽部)
田村真来(JRA)
板倉真由子(JRA)
細江純子(JRA)
押田純子(JRA)
西原玲奈(JRA)
辻本由美(ばんえい)
安田歩(北海道)
勝賀瀬芳子(北海道 宇都宮)
佐々木明美(北海道)
高橋クニ(岩手)
高橋優子(岩手)
佐々木亜紀(岩手)
石川夏子(岩手)
千田和江(岩手)
新田弥生(旧姓:吉田)(岩手)
岩田富子(上山)
小田嶋志生子(上山)
和田美由紀(上山)
徳留五月(旧姓:遠藤)(上山 高知)
藤塚聡子(新潟 高崎)
山田真裕美(新潟)
山本泉(大井 新潟)
赤見千尋(高崎)
米田真由美(高崎)
牛房由美子(浦和)
木村園夏(浦和)
土屋薫(浦和 大井)
稲川由紀子(船橋)
鈴木久美子(船橋)
鈴木千予(船橋)
溝邉悦代(船橋)
米井陽子(船橋)
松沼緑(大井)
沢江鮎美(大井)
埴谷美奈子(大井 益田)
戸川理彩(川崎)
安池成実(川崎)
宮岸由香(金沢)
山上由紀子(金沢)
岡河まき子(笠松)
中島広美(笠松)
神野治美(名古屋)
吉岡牧子(益田)
白津万里(福山)
伊藤千織(佐賀)
藤本美芽(荒尾)
小田部雪(中津 荒尾)
篠田幸子(中津)
日本国外の女性騎手
ペニー・アン・アーリー(アメリカ)
メアリー・ベーコン(アメリカ)
ジュリー・クローン(アメリカ)
エマ=ジェイン・ウィルソン(カナダ)
リサ・クロップ(ニュージーランド)
リサ・マンビー(ニュージーランド)
ロシェル・ロケット(ニュージーランド)
アンヌソフィ・マドレーヌ(フランス)
アレックス・グリーヴス(イギリス)
バーナデット・クーパー(大井)
ヘイリー・ターナー(イギリス)